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板橋と光学

 板橋区立郷土資料館で、10月4日(土)~11月3日(月・祝)の間、「板橋と光学」という企画展が開催されます。
 ただ、みなさんが期待されるような展示かどうかはわかりません。ので、いちおう参考資料みたいなものを。なお、この資料どおりの展示かどうかもわかりません。

板橋区の光学産業[PDF]

 板橋区の精密機器特に双眼鏡は海外で良く売れ、昭和37 年、38 年の日本の主要精密機器の出荷額の7割は板橋区で製造していたと言われる程でした。また当時外国で“メイド・イン・ジャパン”というより“メイド・イン・イタバシ”の方が通りが良かったと言われています。

 双眼鏡関係で云えば、軍需工場でレンズを作っていた者は「レンズ屋」を、ボデイを作っていた連中は「鏡体屋」を、プリズム研摩をやっていた者は「プリズム屋」をそれぞれ立ち上げたのです。但し、レンズ屋といっても更に細かく区分され「接眼屋」「対物屋」「芯取り屋」「コート屋」「バルサム屋」等に分かれ、鏡体屋も「ダイカスト屋」「旋盤屋」、もっとこまかく「中心軸(昇降軸)屋」「メッキ軸(多条ネジ)屋」「キャップ屋」等々に分かれました。
 以下、更に、必要とされた部品部材のための業者は----「彫刻屋」、「アルマイト屋」、「梨地屋」、「塗装屋」、「プレス屋」、「皮張り屋」「エボナイト屋」「板金屋」「メッキ屋」・・・・そして、「エキセン・間隔環屋」「プラスチック屋」「化粧箱屋」「仕上屋」「穴あけ屋」「ビス屋」「エーテル屋」「接眼油・基軸油屋」・・・・・etc。

メモ(せんみつの企画)

・「バナー広告の死」を、マクルーハンの"The medium is the message"を援用して説明できないか。・・・理由付けはいいから、バナー広告のボロ儲けを止めたい。できればGoogle AdSense も。"The medium"の定義や優位性を整理しなければ。

・「お父さんのためのライフハック講座」。1000本のボツ企画から、30本の企画案ができ、そこから3本を本企画にするための、淡々とした仕事の方法。そこにtumblrなどのツールを絡ませる。(本当はツールでなくて目的なんだけど)

・ネットとラジオの親和性・・・プレスリリースサイトとヘッドラインニュース?

続・六本木ライブラリー

 昨日のエントリーで紹介した「アカデミーヒルズ六本木ライブラリーのアイデンティティ」(小林麻実)のPDFから、気になるところをピックアップ。

 専門情報を溜め込むヒトになるよりも,むしろ社内の情報を回す,誰かの持つ情報や知恵を,他のヒト,後から来るヒトに回してあげるファシリテイターとしての役割こそ,ライブラリーが持つべきものではないかと私は思うようになり,社内での勉強会を開催するなどして提言した。
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 本はなくとも,本の中身である情報が系統立てて整理されており,効果的にアクセスできればよいのだ,そのアクセスを提供することにこそ,ライブラリーの存在意義はある。
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 しかし,この構築の経験によってこそ,本という物理的な存在を持たない,書棚のないライブラリーには,明らかに欠けているものがあるということにも気付いた。それがセレンデピティ,つまり「意外なものとの偶然の出遭い」である。
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 このように「図書館とは本だけでなく,情報リソースとしての人間も扱うべきである。本や情報との偶然の出遭いから新たな知を生み出すことを目的とする」と考えていた私に,森ビル株式会社の方々が知人を介してコンタクトしてきたのは,六本木ヒルズのオープンに先立つこと2 年,2001 年の頃であった。
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 赤字を垂れ流し,お金を使うだけの図書館など,世の中に掃いて捨てるほどある。
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 例えば,一般の図書館では本を読みながら飲食することは禁じられていることが多い。これは何のためなのだろうか。本の汚損を気にしているというのなら,貸し出した書籍が,利用者の自宅やカフェで,コーヒーと一緒に楽しまれている事実には思い当たらないのだろうか。
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 私は,RFID タグの,別の使い道を考えなければならなかった。そしてこれが,「本と人の偶然の出遭い」を実現に移す方法であることに気付いたのだ。
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 結局,私のイメージした「個人として学び,他の人との情報交換も行える場」という趣旨にひっかかるものを感じる人々が,どれだけ存在しているかは,マーケティング調査をかけてもわからない。そのようなセグメントは未だ存在していないからだ。これから自分で作り出していくのである。
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 しかしあきらめなければ,いつか夢はかなうのである。

 特に「ファシリテイター」のところは、インターネットのコミュニティに情報を取り込んだり回したりする、すぐれたブロガー/タンブラーさんの役割に近いと思った。

六本木ライブラリーと小林麻実

 私はかつて「アカデミーヒルズ六本木ライブラリー」の2,000円の「ワンデーチケット」を買って、ひがな会社をさぼって絶景を見ながら、さまざまなアイデアを練っていたものだ。もしご存知ない方は、無料見学会に参加することをオススメする。
 もちろん、アラを探せば問題と言えるようなこともある。しかし、こういう場が実現し、参加者の意見によって、いまだに形を変えて運営されているという事実自体が、極めて興味深い。

 さて、このライブラリーのコンセプトを作り、実際の立ち上げと運営に関わられた小林麻実氏の傑作論文がPDFで読める。

アカデミーヒルズ六本木ライブラリーの創設は,誰からも理解されず賛同も得られなかった個人の夢を,諦めずに粘り強く抱き続けて現実に移した苦闘の歴史である。

「アカデミーヒルズ六本木ライブラリーのアイデンティティ」
(小林麻実)

 この短い文章で、私はいろいろなことを知った。一つひとつの絶賛については、また機会をあらためるとして、ぜひ、みなさんにも読んでいただきたい。事実、私はこのライブラリーで、新しい本とのかけがえのない出会いを果たした(ジャン・エシュノーズの『ラヴェル』)。

ワインやビール等のアルコール類を含めて,少なくとも飲物は館内どこででも自由に飲むことができるべきであるし,ネットへの接続も館内どこででもできるべきだろう。(同)

 で、いしたにさんが褒めてくださることがあるものの、なんとなく「誰からも理解されず賛同も得られなかった」エントリーばかり書いているような、反省というか、ちょっとションボリした空気を、弾さんが吹き飛ばしてくれた。

「そんなの誰でも知っている」?「もう聞き飽きた」?私の知ったことじゃない。
404 Blog Not Found:それを知らなかったことは知ってはじめて知る

 公開されていて、どこかの誰かに開かれていながら、自分のために書いているという感覚。そして、たまに賛同してくれる人がいるという状況。これを御の字と言わずして・・・というほど大げさに気にしていないけど。まあ、実は幸せなことだろうと思う。まあmixiの日記は、もっぱら釣りだけどねw

中沢新一が「閉架」

 今日、近所の図書館に行って書籍の検索したら、中沢新一が全部「閉架」だったよ! セイベベ!

898 :名盤さん:2008/07/18(金) 16:06:27 ID:7ZUnoFEi
セイベベNG登録してみたらほとんど見えなくなってワロタw

飛んでいる蝶、椎名林檎

ということで、唐突ですが、いつかトーキョードリフトで東京事変のインタビューをやりたいものです。関係者のみなさんよろしくお願いします。
東京事変と椎名林檎の10年:[mi]みたいもん!

 昔、イーゴリ・ストラヴィンスキーを「カメレオン作曲家」と評した本を読んだことがあった。作風に一貫性がなく節操がないと批判するような書き方で、「春の祭典」を“原始主義”と名づけていた。本当に意味のないことだと思う。飛んでいる蝶も見ずに、それをピンで止めることだけに必死なわけだ。3大バレエの複製を作らなかったどころか、次作にその匂いすら残さなかった凄さを絶賛すべきなのに。

 同じことは東京事変にも言えて、「第一期のほうがよかった」とか「第二期のほうがいい」とかいうのは勝手だが、実際に飛んでいる蝶は、第一期から第二期へと移行しているのだ。そして本人達は、当てつけるように、第一期の最晩年に新曲としてライブで演奏した「秘密」を、第二期の最初に、まったく違うアレンジで発表した。

 たぶん椎名林檎は2006年頃、そんなにコンディションがよくなかったんじゃないかと思う。それでもヘアピンカーブでアクセルを踏み込むようにして第二期を迎えたのには、こちらもパワーをもらったものだ。自分もいつまでも、このようにありたいと思うのだが。その後も前作の期待を裏切り続け、「OSCA」なんて当初、評価は散々だった。いまやyoutube屈指のアクセスで、iPhoneのCMでも使われてるけど。

第一期「秘密」

第二期「秘密」

 ところで、村上龍が武満徹に会ったときに「一番好きなのは『弦楽のためのレクイエム』です」といったら「処女作(厳密には出世作)が一番いいなんて、表現者に対する侮辱だ」と言われたらしい。龍は、後に「いまはよくわかる」と言っていた。

メルシー、マダム(ババール)

フランシス・プーランクは、ジャン・ド・ブリュノフの絵本「象のババールのお話」を、甥や姪のために朗読とピアノ演奏の曲にした(自分は独身だったから)。「メルシー、マダム」のテーマを弾いて、youtubeにアップしている人がいる。私もこの場面が好きだ。メルシー、ムッシュ。ペダル踏みすぎ(踏みっぱなしかよ)と思うけどさ。後年、ジャン・フランセによってオーケストラ版に編曲された。

「ああ、世界にはこんな人もいるんだ」ということの掘り起こしのために。

太田裕美「青空の翳り」

ともに松本隆作詞・筒美京平作曲のヒット曲、「木綿のハンカチーフ」と「九月の雨」に共通するテーマは“心変わり”だ。

季節に褪せない心があれば、人ってどんなに倖福(しあわせ)かしら。

まあ、心が褪せなくても上手くいかない関係の方が切ないのだが。

それから「木綿のハンカチーフ」と「青空の翳り」(来生えつこ作詞・浜田金吾作曲)の共通点は“明るい曲調に残酷な状況”である。

悲しみをさりげなく、笑い話にできる人は素敵ね。

ってゴーゴリかよ! 雨だれえ? 雨オレ!

太田裕美「九月の雨」

あー、もう9月だよ9月。9月も半ばが過ぎた。月日が経つのは早いねー。すぐ死んじゃうよ。でも、結局すぐは死なないんだよね。たぶんこれから、退屈でしようがない日々も来るんだろうね。もう始まりかけているような気もするが。

季節に褪せない心があれば、人ってどんなに倖福(しあわせ)かしら。(松本隆)

恐ろしい2番もいいのだが、カラオケを除いて、どの動画でも飛ばされています。

萬鉄五郎「もたれ立つ人」

切手にもなった萬鉄五郎「もたれ立つ人」(1917年)と、岩手県東和町にある成島毘沙門天像って、造形感覚が似てるよね。『巨匠たちの原風景』という本で、そんな指摘をしたのは田中日佐夫氏である(もちろん、これが彼の主な業績ではないが、めっぽう面白い本である)。

Motaretatu

私も実際に行ってみたが、萬の生家から簡単に歩いていける距離にある。

Bishamon

間違いなく見ているはずだ。…この事実は、本人の文章にも書かれていない。でも、行ってみればすぐ分かることなのだ。これは重要。

で、もし「似ている」が事実なら、日本のキュビズムって、結局“眼の革命”を経てないじゃんということになる。(田中氏は、そこまでは指摘していないけど。)

でも、かわいそうなのは、真面目で優秀な絵描きの方だ。

一点透視図法的な遠近法など、いわゆる近代的な技法が崩壊したという意味での「ポスト・モダン」状況にあったヨーロッパ美術の状況を、「近代」として受容し、それに“追いつけ追い越せ”しなければならなかった、東京美術学校の卒業生たちの悲劇たるや・・・!

で、これは現代の我々の問題でもある。私たちは「近代」を経てきたつもりだけど、実際にはそうではなかったということ。何が欠けているのか。で、「欠けている」と言われると、それが悪いこととしか捉えられずに、やっきになって憤慨するのが、わが国の「近代」w

萬鉄五郎「日傘の裸婦」

モネ「散歩、日傘をさす女性」(1875年)

Monetg01

萬鉄五郎「日傘の裸婦」(1913年)

Higasa

「同じような題材で書いたつもりなんですが、何か。
まあ、こうなりますわね日本では」
(とは言ってないけど、まあ言ってるわね)

制作が批評になっているところが、面白いところであり、弱いところでもある。モレとしては面白い方が勝っていると思う。ていうか移行期には、これをやっておかずには次ができないタイプの人がいると思う。黒田清輝みたいに外人をモデルにすれば、破綻は小さかったかもしれないのにさ。

萬鉄五郎「裸体美人」

萬鉄五郎「裸体美人」は、東京美術学校の卒業作品。後に国の重要文化財となったこの作品も、当時は担当教授たちを困惑させ、卒業の是非までが論じられたという。

かつて岩手の萬鉄五郎記念館で、美校時代のスケッチ帳を見たが、実にうまかった。在学中、いちばん絵が上手かったという評価はうなずける。印象的だったのは、人に対するまなざしの暖かさだ。汽車で居眠りする人たちとか。劉生などは、迫力を見せ付けるためにスーパーリアリズムをやったが、萬はそんなことはしなかった。しかし・・・

萬鉄五郎「裸体美人」(1912年)

Yorozu







あそこまで写実的に筆が立つ人が、卒業制作でこんなものを出したのだから、教授たちは困惑しただろうさ。

赤塚不二夫「イヤミ」(1962年)

Photo










萬さん、50年早かったかもよ。

食料品の価格は安すぎる

 7月に引越して、通勤時間が倍になったけど、物価が安くなって驚き。特に食費は4分の3以下になったのではないか。不満なのは、近所のダ○エーとかが異常に安いことだ。あまりに安すぎる物が大量にあって、おそらく売り切れずに捨てているのではないか。いくらなんでも、あんなに安くなくたっていいと思う。流通業者から「安きゃいいんですよ。味なんかわかんないし」と言われりゃ、生産者は消費者をナメるのではないかと思う。だから内外価格差とかを悪用しても、たいした罪悪感を感じないのではないか。

 でもオバサンたちは「こんなんじゃ生活できなーい!」「政治なんとかしろ!」とか騒いでいる。それが本当の生活危機じゃないと思われるのは、そんなババアも、おかしな健康器具やサプリにはカネを惜しまないからだ。ジャパネットに言われれば、狭い家に入りきらないような液晶テレビを買ってしまうからだ。テレビで煽り立てれば、なんだって買わないでいられない。テレビを見ることが、生きている証になっているから。明らかにカネの使い方が間違っている。

 間違いなく知性の問題だ(自分が高いのではなく、ババアが低すぎる)。再度言うと、食料品は、もっと高くてよいし、それが当たり前。「誰もが、安いにこしたことはない、と思っている」というのは大間違いだ。適正価格でやってくれ。当たり前のものを売ってくれ。粗末なものを売るな。良心的な生産者が救われる構造にしろ。それこそが構造改革だ。少なくとも、国産のいいものを「消費者の声」とやらを理由に、棚から排除しないでほしい。そのダミ声を出すババアの方を排除してくれ。というとケンカになるか。

捕まえられない魚、フランソワ

フランソワの才能を確信したコルトーは、彼の父モーリス・フランソワに次のように書き送っている。「御子息の演奏を聴きましたが、彼の非凡な才能を開花させるためには、パリで学ぶことが不可欠だと思います。(略)息子さんの職業はピアノを弾くこと以外にはありえません」。
(ジャン・ロワ『サンソン・フランソワ ピアノの詩人』)

当時、サンソン・フランソワ11歳。

私がほんとうに愛しているのは、「現在」だけだ。
(サンソン・フランソワ)

こういうことを言って許されるのは、ごく少数。
とり憑かれたようにはしゃぐ自称「社長」のようなものたちには言わせない。

私は万人を愛したいけれども、まぎれもなくあなたを愛している。この状況をどう両立させればいいのか?
(サンソン・フランソワ)

ムッシュ・フランソワ、あなたの演奏こそ、その答えではないですか。

この演奏が気に入った方は、このショパンとか。こんなショパンとか。

グールドの音楽とは違った世界にも天才がいることに共感してもらえたら、それ以上何もいうことはありません。(amazonのレビュー)

確かに「グールドしか受け付けない(オレって最強)」っていうふりして、実はグールドでしかピアノを聴いたことない人、結構いそうだし。厳しいこと言うねw …中古で14,700円か。

原風景

 幼い頃に育った周囲の景色が、その人の一生のあいだの空間認識を決定してしまう。そんな論文は見たことがないが、すでにあるか、そのうち出るに決まっている。その空間をたえず消され続けてきたのが、現代人である。感覚も思考も、どこか変になるに決まっているわ。
[養老孟司先生のタケシくん虫日記]
「東京に虫が減った」ことから、現代文明の崩壊を考えてみる

 先生、そういうことが書いてある本、知ってます。田中日佐夫氏の『巨匠たちの原風景』です。北は北海道から南は沖縄まで、自分の足で画家や彫刻家の生地に行って、あれー、この風景って、あの絵だよねーとか、この仏像の造形って、あの人物画だよねえとかいう、おかしな本です。引っ越したばかりなので手元にないのですが、ダンボールに3冊くらいあるはずです。

 私の原風景は、沼地を埋め立てた造成地の瓦礫の中に、自分の家がぽつんとあって、そこから同じ形のテラスハウスが無数に増殖していった景色。戦後の焼け野原風(昭和40年代だけど)。たぶん、他の人と比べて大きく欠落しているところがあると思うが、それを燃料にしていくしか方法はない。

中田とトルシエ

 中田は思慮深い人間ではあったが、個人主義者ではなかった。ここでいう個人主義者とは、ヨーロッパの文脈における言葉の本来の意味での個人主義者である。彼はその範疇には入らない。他人に関心がなく、周囲に人が集まるタイプではない。彼の周りにグループは形成されない。(『オシムジャパンよ!』フィリップ・トルシエ)

 社長の机の前にある本棚から、トルシエの本を借りてきて、パラパラと読んでいる。いまさらだが、トルシエに俄然興味が出てきている。いつか会いに行くのではないかという勢いだ。「ヨーロッパの文脈における言葉の本来の意味での個人主義者」って、確認せずに済ませられるか。この本、けっこう話題になったらしいけど、本人に聞きに行った人はいないのだろうか。サッカーに詳しい人を連れて行ったほうがいいのか、はたまた、そんな人は連れて行かないほうがいいのか。後者だろうな。

監督の責任は60%

監督は結果に対して60%の責任があるというのが私の持論だ。チームのパフォーマンスに関しても同じ。
(『オシムジャパンよ!』フィリップ・トルシエ)

 星野監督が叩かれているが、行く前にあれだけ大風呂敷を広げていれば、しようがないかなともと思う。でも、オリンピック前に人気投票したら、たぶん断トツで星野監督になっていただろうと。いわく「結果責任」「大将はすべての責任を取れ」。こういう無謀で無限定な責任の取らせ方は、江戸の平和が長くて戦争慣れしていない社会の、ヒステリックな反応なのでは。(つまり第二次大戦の教訓よりも、その前までの歴史で社会に染み付いている要素の方が強烈だということ。)

 大将が引受けるべき責任はどこどこまで、と限定されている社会の方が、ちゃんとした反省が出来るんじゃないかと。だって、戦争に終わりはないんだから、潔さより重要なことがある。つまり「次は勝ってやる!」。まあ、ブラジルではサッカー負けたら選手が殺されたりするけどね。

 それから、不思議なのは、フランス語は子音が複雑で、全体としてあいまいな印象を与えるのに、実際には内容が明晰で、一方で日本語は母音ばっかりで、あいまいさがないのに、内容があいまいなのは、なんか反比例の法則でもあるのだろうか。

幾何学を学ばざる者、この門に入るべからず

 偶然通りかかった近所の図書館で、リサイクル資料の頒布をしていた。図書館で除籍処理した本を、無料でもらえるのだ。都心の図書館では一人3点と決まっていて、大勢で取り合いしていたが、ここでは私一人で、職員も「何冊でもいいですよ。ダンボールいりますか」などと声をかけてくる。会場には、なぜかエマニエル夫人のテーマとかのサントラが静かに流れている。天国のような場所だ。交通の便は悪いが、遺跡の上に建てられた、日当たりのよい高台の都営住宅の中に作られていて、ああ、縄文時代から住み心地が保証されている土地だという感じがする。

 といっても本の多くはインターネット以前に刊行されたものなので、実用書の類はほとんど役に立たなくなっている。なので、いずれもいつか売ってしまった岩渕潤子『ニューヨーク午前0時 美術館は眠らない』と浅井香織『音楽の<現代>が始まったとき』をゲットした。あと2冊は未読の『三枝博音と鎌倉アカデミア』と『手作りスモーカーで簡単ベランダ燻製術』。燻製は実用書だが、幸いインターネットと関係がなかった。
 『鎌倉アカデミア』は、大学時代になぜか鎌倉在住の人たちと親しかったのを、ふと思い出して手に取った。矢内原伊作がこう言ったという話をゼミ形式の授業で披露した女の子に、それなんて本に書いてあるのと尋ねたら、彼女が小さい頃から矢内原さんはちょくちょく家を行き来していて、その話は本人から直接聞いたと言っていた(私達が在学中に彼は亡くなった)。
 矢内原さんも鎌倉アカデミアで教えていた。入り口には、プラトンが創設した「学園アカデメイア」に倣って、ギリシャ語で「幾何学をまなばないものは、ここに入ってはいけない」という額を掲げていた。三枝博音によれば、これは「科学的にものを考えることをしないものは」ということと同義という。
 しかし、それはそうだとして、私が中学時代に図形の証明問題を解くのに没頭していたというレベルで済まされるものではないとしたほうがよいだろう。高等な幾何学を学んだギークさんたちとの間には、深い溝があるのだ。という意味で「幾何学を学ばざる者、この門に入るべからず」(文語調で)という箴言を捉えておくことにする。残念ながら、別の門から入りますのでヨロシク。

「引用」と「抜粋」の未来

 ただグーグルの連中は、歴史とか政治とか、そういう人文系の深いことは何も考えていないんですよ。熱中しているのは数学とITとプログラミング、そして『スターウォーズ』が大好き、という感じの若者たちが多いですから。…公開される前日は、シリコンバレーのマウンテンビュー市の映画館全部がグーグルの貸し切りだったんですよ。(梅田望夫『ウェブ人間論』、平野啓一郎との対話)

・・・と、ここまで引用して、このあと、どうでもいいタワゴトをグズグズ書けば「引用」でOK、書かなければ「抜粋」でNGというのも、不思議な話だなあとは思う。「検索に引っかからなければ存在しないも同じ」世の中では、下手な宣伝文より、適切な抜粋の方が効果あるんでないかと。もちろんグーグルの狙いは全文公開で、それでも本は無くならないという主張だろうけど、まあ、それはそう思う。そう願いたい気もする(本を残す奇特な人の存在も含め)。でも日本では、たぶんしばらく全文には抵抗があるだろうし、なにしろ全文では、いい部分が埋もれてしまうので「抜粋」の効果は大アリだと思う。全文が珠玉の名文で構成されている本も稀だしw
・・・と、ここまでグズグズ書けば、引用ってことで許されるだろうか。

いしたにさんの「のまさんどうぞ」にならって「いしたにさんどうぞ」。こういうのiPhoneで、外で見たいな。iPodでもいいの?だめだよねー?

そんなんじゃ泣けない

 小説で何をいかに書くか。この「いかに」の方法論への無自覚さが、なんとも耐えられない。主人公の大事な人は、半分くらいのところで病気で死ぬわけじゃん。それを、何の芸もなく書き綴ったって、そんなんじゃ泣けないよ俺は。いや泣く人がいたっていいよ、特に若い人はね。感受性が豊かというより、あんまり読む蓄積がないからハードルは低いやね。でも、書く人はそんなことでいいの? 泣く人がいればいいわけ? まあ、正直、泣くやつも泣くやつだ。そんなのを「感動」なんて呼ぶんじゃない!
 ピチカート・ファイブの「陽の当たる大通り」の陽気さの裏にある正体=絶望感を、

キリンジがカバーによって暴いている(36:22~)。「死ぬ前にたった一度だけでいい/思い切り愛されたい」・・・なんという渇望と断念。

フェイバリット/鼻紙/甘やかな身体/燃え殻/クレイジーサマー/Love is on line/Drifter/陽の当たる大通り

 これが「読解」と「再創造」だ。こういう高度な連鎖に触れると幸せを感じるなあ。偽悪醜に苛立つのは、もう疲れたよ。真善美に埋もれて逃避したい。

福田さんの好きなシューベルト!

 福田さん、あなたは時代の流れのなかで、ご自分が果たされる役割の範囲を冷静に見つめ、適切とお考えになるタイミングで辞職を宣言されました。おそらくこれで、次の選挙でも民主党は勝てないでしょう。
 太田大臣のときには「辞めろチンパン」という罵詈に耐え、実際に辞めれば「無責任だチンパン」と雑言を浴びせられましたが、自らの役割がどう果たされたかは後世の人が判断することだと考えていれば、そんなに気にならなかったのではないでしょうか。

 自分の任期だけでなく、時代の流れに自らの役割を位置づけていたからこそ、浅はかな者たちからは「他人事」に見えたのかもしれません。彼らが大好きなのは、自らの能力や役割を省みず、獲れもしないのに「金メダルしか要らない」とか言って大風呂敷を広げることなのです。鬼畜米英と言って天に向かって竹槍を突くことなのです。精神論で現状を打開しようというポーズをとることなのです。それが彼らにとっての「他人事でない態度」なのです。
 しかし福田さんは、それこそが無責任な態度ということがお分りになっていたので、そういうことは決してなさらなかった。根拠なきバブルを待ち望むバラマキを許さず、停滞を冷静に受け入れて次代に備える政治は、後世にどう評価されるでしょうか。内心フフフと楽しみに思っているのではないですか。
 福田さんの好きなシューベルトでお送りします。煩わしい政治の世界から離れ、大衆におもねらない著述などなさってはいかがでしょうか。そのとき、福田さんの考えを知って驚く者も出るかもしれませんし。人を驚かせるの、なにげに好きですよねw それでは、これからも楽しみにしております。

福田さんの好きなベルリオーズ!

 ベルリオーズと言えば「幻想交響曲」。もしかして相当なオカルト志向? まあ、ベートーベンの直後で、フランツ・リストの前にこんな音楽書いてたんだから、天才だわね。福田さんは異端が好きなのかも。チューバの向かって右は、多戸幾久三氏。

福田さんが好きなバルトーク!(2)

 指揮はクリスト・フォン・ドホナーニ。眼鏡が福田さんに似ている? 小沢との会談が決裂して、家に帰って「中国の不思議な役人」を聴いている図を想像したら、なんか可哀想になった。あなたとは違うとも言いたくなるわね。

福田さんが好きなバルトーク!

 福田首相がバルトーク好きということは、ウィキとかで目にしたけど、自分から探したことがないという人が多いと思うので、いくつかアップします。「あなたとは違う」福田康夫の正体がわかるかも!?

弦楽四重奏曲 第4番第5楽章

"Miraculous Mandarin"(中国の不思議な役人)組曲版ラスト

"Miraculous Mandarin"(中国の不思議な役人)全曲版ラスト(グロ注意)

高山博行氏のフリーペーパー第2弾

 スターツ出版が出していた「GOLDEN min.」が2月で休刊になったと思ったら、

同じ編集長でJTBパブリッシングから「At Once」が出た。

 ともに地下鉄に置かれているフリーペーパー。表紙やグラビアは「GOLDEN min.」と同じ操上和美だし、40~50歳向けというコンセプトも同じ。神保町で手にしたけど、まあまあ面白かった。特に住宅特集。すごくいい内容とまでいかないけど、広告臭が薄くて、渋かった(あれで、小田急の新百合のマンション売れるのかな)。

 とにかくコンテンツが良くなかったら、いい読者がつかないから。いい読者がつかなければ、メディアの価値がない。でも分量は、自分がかつて編集してた月刊誌のコンセプトもそうだけど、雑誌は薄くて、ネットのインデックスとして機能するものがいい。その点「At Once」は、まだまだ紙に拘っている。本当は、ケータイとの連動をガンガン図るべき。QRコードでデジタルデータ&関連広告が見れるようにするとか。フリーマガジンには、まだフロンティアが残っている気がする。

これ食えるかな

例の『TRUE VIEW』01号の村上龍インタビューより抜粋。

(成功の条件は)僕個人的には、「充実感のある仕事をやって、なんとか生活できて、かつ信頼できる最低限度の共同体を持っていること」だと定義と条件を示したんですけど。家族じゃなくてもいいんですよ。

好奇心っていうのは、ほっとけばなくならないんだよね。奪うからなくなっちゃうだけど。子供は好奇心がないと生きていけないから。本来はあるんですよ、それを寄ってたかって潰してるだけなんですよ。

腹いっぱいで山に入ってキノコ見つけても、“これ食えるかな?”とか考えないけど、飢え死にしそうで山入ったら食えるかどうか必死で考えるんですね。だから常に情報に飢えてるっていうか、ホントに成功した人はアンテナ張ってるんです。これはもう必須条件ですよ。

だって生き残ったのは全部デカイところですよ。それで若者だけに「冒険心を持て」と言っても無理ですよ。保守的だったり自己保身に走るってのは、社会がそうだからしょうがないもん。

ただ、アンフェアなことは質したいんです。(派遣社員などが差別されているという)そういうアンフェアなことには興味があるけど、若者には興味がないです。だって「わたしは若者に興味があります」っていう大人、気持ち悪いでしょう?(笑)

(こんな社長はダメだ)それは、現場に行って部下とコミュニケーションをとらない社長。簡単なことです。

冷たい目で見ないで

下手こいたー! 41歳の夏が終わっちゃった!

『田紳遊楽』と『崖の上のポニョ』

物語の基礎となっているのは、“異種婚礼譚”。わたしたち島国(日本)はそういう話をいっぱい持っている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080831-00000004-flix-movi

 これで思い出したが(というか他人の目に触れるところで書くことを想定していなかったが)、『崖の上のポニョ』の“半魚人”を見て連想したのは、藤枝静男の『田紳遊楽』だった。『田紳遊楽』では、金魚のC子とグイ呑みの間に子供が産まれる。万物流転生滅同根、万物流転生滅同根。映画化キボンヌ。

北京オリンピックと民族粛清

 『ショスタコーヴィチの証言』には、ソ連時代の民族音楽大会のエピソードがあったはずだ。スターリンがソ連全土の少数民族を全て集めて、民謡大会を大々的に開催し、そのあと彼らをまとめて粛清するという話。(追って確認する。)

 北京オリンピックの開会式に登場した中国56民族を代表したといわれる子供たちが、実は全員漢民族だったというニュースを聞いて、この話を思い出した。同じタイミングでグルジアでの戦闘。国家とは、人類が生み出した最凶だ。悲しいほどショスタコーヴィチが似合ってしまう状況だ(Live録画はこちら)。

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