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Point of view point

iPod Touch を買ってから、いちばん使っているのは動画。YouTubeから変換して、通勤中に視聴する。再生頻度が高いのはCornelius のPoint of view point。フリッパーズ・ギター解散してよかったね!

それから木村カエラのmemories。「パコと魔法の絵本」見てね!

バブル以降最安値更新

僕と小沢ができていて、その仲を渡辺満里奈に引き裂かれたというのが有力な説

Wikipedia「フリッパーズ・ギター

1991年、3rdアルバム『ヘッド博士の世界塔』をリリースするも、突然の解散表明。素晴らしい引き際。

黄昏泣き

いしたにさん@みたいもん!が「“Web 1.2(眼鏡かけて)”ではgoogleに引っかからない」と心配してくださっていたのですが、結局ほんとに引っかからないので、試しに「メルシー、マドモワゼル」に変えてみます。ニフティ会員のデフォルトIDでブログしてるからでしょうか。

iPod Touch 買いました。Wi-Fi接続の方法が分からず、“PLANEXUSER”と出てきたから、ネットで検索して適当に入れたら、接続できました。いいのかなー。

記念に「黄昏泣き」。最初からあなたには私しかいない、、最後まで私にはあなたしかいない。ありがとう、お嬢さん。

ポルターガイスト

かつてメシアンに師事したセリエストで、かつ奥さんのジョーン・モリス(ms)と組んでアメリカの古いポピュラーソング(ラグタイム、フォスター、ガーシュインなど)を得意とする、よく分からないピアニスト&作曲家、ウィリアム・ボルコムの「ポルターガイスト」。

ボルコムには「幽霊三部作」があって「Poltergeist」は2曲目。1曲目は「Graceful Ghost」(↓)。15年くらい前、家に突然遊びに来た女の子が、ピアノを弾くというので、三部作の入ったレコードを聴かせたのを思い出した。なんか微妙にマニアックだと喜んでたな。

もうひとつ、椎名林檎の「ポルターガイスト」もあったので。

メルシー、マダム #2

以前も書いた「子象ババールのお話」(プーランク作曲)に、インドネシア語版が登場。ナレーション付き。やっぱり「メルシー、マダム」のところからやるんだなあ。

時制も敬語もないため世界で最も習得しやすい言語の一つといわれている。
インドネシア語 - Wikipedia

「ババールの結婚式」のところまでやってくれたら理想。スクリーンに絵を映し出すのは楽しい。レア。

AUDIO SCIENCE LABORATORY IN TOKYO

mixiの過去のレビューから。

「ボヨヨーン!」で始まり「ハハハ!」で終わる、愛をめぐるコンセプト・アルバム。架空のロリ・アイドル、CAROLINE NOVAC をフューチャーし、短い映画を見ているかのような時間が流れる。特に、スチールドラムのオーケストラが奏でる "Look For A Star"から、ストリングスのリフが美しい"Some Day, That Place In Time" に掛けて、このアルバムが終わりを告げようとする空気がたまらない。人生の終わりも、このような幸福感に満ちた幕の引かれ方であって欲しいものだ。なお、ヤン・トミタ氏は "Air Vibes" (空気の振動!)の中で、少なくとも音楽における愛について、♪Listen... という一つの答えを提示している。人生も同じか。
(『DOOPEE TIME』)

このレビューでは、曲順でいえば16~19曲目について書いているが(下線部)、YouTube では、このうち18曲目と19曲目がうpされている。少し雰囲気が分かれば。

DOOPEE TIME

What Keeps Mankind Alive?

麻生太郎首相(セメント屋)の政治手腕には期待していないが、ひとつ気になることがある。それは声がウィリアム・バロウズに似ていることだ。(誰か画像を合成してYouTubeに再放流してくれないか。)

バロウズが朗読した「What Keeps Mankind Alive?」がYouTubeにあった(本当に何でもあるよな全く)。トム・ウェイツの歌(名演。ただし画像はオススメしない)だと勘違いしている人がいるが、元ネタはクルト・ヴァイル&ベルトルト・ブレヒト。かの『三文オペラ』の一節だ。食い物が先、モラルはその後。人間は何によって生き長らえるのか、それは獣性によってだ。という歌詞。ブレヒトらしい。

これを麻生氏に朗読させると、セメント屋として案外いい感じが出るかも・・・。そう考えると、確かにこういう不景気の時には、安倍元首相のようなおかしな美学ではなく、バラマキやってでも食い物を確保することの方が、国家としては優先されるのかもしれない。その意味では、安倍や福田よりましということか。Food is the first thing, morals follow on.

Jellyfish - Joining A Fan Club

クラゲおめでとうございます。ファンクラブに入りましょう。

という歌ではないが、記念に。

福田和禾子「イカイカイルカ」

「おかあさんといっしょ」「みんなのうた」の作曲、編曲で有名な福田和禾子氏が亡くなって一週間。作曲もよかったが、編曲もよかった。高校生のとき、放送局や劇場付きの作編曲家にあこがれたものだった。来世は、よくよく考えてがんばります。

速水けんたろう、茂森あゆみ時代の最高傑作は「だんご三兄弟」ではなく、福田和禾子の「イカイカイルカ」。作曲、作詞、編曲、美術、振付、歌のすべての要素が高レベルで調和している。特筆すべきは、イカの歌と踊りのキレのよさ。

福田さん自身は、代表作は「北風小僧の寒太郎」だと思っていただろうか。

「海ゆかば」を歌う森繁久弥

引越しのダンボールを片付けていたら、田中日佐夫の『日本の戦争画』が出てきた。軍人の息子として、軍国少年として、戦後民主主義の恩恵を生きたものとして、抹殺された「戦争画」を検証する、わが身を引き裂く試み。

『パコと魔法の絵本』を見に行く。泣かす映画は大嫌いだが、あやうく号泣しそうになる。あまりにも身につまされすぎるw 善人は善人なりの、悪人は悪人なりの理由があり、誰もが他人を救われるべきではないと言うことはできない。「悪人正機説」の正統的な解釈。

この年齢になると、ひとの「無念」ということに敏感になる。昨日のエントリーで言及した信時潔だが、その忘却度合いは、それこそ黛さんや武満さんの比ではない。軍歌のように奉られ、戦後抹殺された「海ゆかば」が、あらかじめ哀悼の歌として作られていたことに、ソロで歌う森繁や作曲者の信時潔の無念を思う。

有り余るほど金があれば、働かないでいろいろな人の話を聴きに行き、真実を明らかにしたいものだ。・・・まあ、給料が出ようが出まいが、本来「自分の仕事」とはそういうものだが。

黛敏郎とシトロエン

 日本でも、故・武満徹など物故作曲家の作品が、いま現在、加速度的に忘れ去られているところです。故・黛敏郎などは最たるもので、生前のメディア上での影響力への反動か、本当に演奏されなくなっている。http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080821/168423/?P=5

どちらも生前にお会いしたことがあるし、隔週で収録していた「題名のない音楽会」は、学生時代のほとんど唯一のアルバイト先だったから、黛さんとはときどき雑談した。

本当にカッコイイ人で、優しかった。ゴールドのシトロエンを自分で運転してきた。ちょっと気障かなと思ったが、車は使い古していて(つまり大切に乗っていて)、派手好きではなかった。「海ゆかば」の信時潔が遺した管弦楽曲とか、本当にこれテレビでやるの?というようなマイナーな音楽を、番組で積極的に紹介していた。

右翼的な発言と言われていたけど、いまとなっては普通の範囲だったようにも思う。パリの音楽院を一年で中退して戻ってきたということだが、その間に、なんらかの敗北感とか差別とかがあったかもしれない。
それよりも「音楽院に集まった世界中の若者は、自国の伝統についてよく知り、誇りに思っているなあ」と感じたに違いない。特にフランスやドイツの学生が、独自の和声感覚や技術をよく身につけているという意味で。コスモポリタンな街、パリにおいて自国の伝統を芸風にしている点について。

その経験を日本に持ってきて、おい日本も自国のことをよく知ろうぜ、そんなんじゃ外に出たら誰からも相手にされねえよと。いま風に言えば「芸風を確立しろ」「キャラを立てろ」というところか。
でも、外の空気を吸ったことがない普通の人は、戦争に負けた敗北感がまだ残っており、軍備をアメリカにおんぶして経済成長を遂げたコンプレックスから、ナショナリズムの要素について過剰反応したのだと思う。

黛さんは、本当に若くして才気煥発の作品を作っており、レコードになっている「10楽器のためのディベルティメント」(1948)なんか聴くと、すげえ戦争終わったばっかだぜと驚くハイカラさだ。
「涅槃交響曲」ばかり評価されているけど、基本は超モダンでハイカラな人。変な誤解をなくして、再び曲が掘り起こされるべきと思う。番組に注いだアグレッシブな姿勢も、引き継がなくてはならないかもな。

日本テレビ・スポーツのテーマ

『赤線地帯』(溝口健二監督)

ストビュー2

「♪あ~湯煙にィ あなたがァ~・・・ おいおい、何撮ってるんだい!」

「え、写真を・・・」

「だから何パシャパシャ撮っているんだっていうんだよコラ!」

「え、ですから写真を・・・」

「そんなこと見りゃわかるよ。だから他人(ひと)んちを勝手に撮るなと言ってるんだよ!」

「いや、べつにお宅を撮っているわけじゃ・・・」

「何だとぉ? おめえ、こっちにカメラ向けてるじゃねえか!」

「いや、それはたまたま向いているだけで・・・」

「たまたまだと? 現に向いてるじゃねえか。向けるなと言ってるんだよ」

「でも、道を歩いていれば、見えちゃいますよね」

「この野郎、屁理屈こきやがって。おめえ、ルックとウォッチが違うっての、学校で習わなかったのか!」

「え、でも、別にまじまじと見ているわけでは」

「違うよ。撮るときはパチパチ適当に撮ったとしても、帰って現像したら、まじまじと見ることできるわけだろ?写真なんだから」

「はあ、でも、法律には違反しているとは言えないです」

「ったくバカにはどうやったらモノを教えたらいいんだ。俺んちの縁側は道に面してるんだ。だから意味もなく道から写真をパシャパシャ撮られたら、家の中が丸見えなんだよ」

「他の家からは、特に苦情は来てないのですが」

「あのなあ、高層マンションに住んでるやつの家には、縁側がねえんだよ阿呆。だいたい何のためにそんなことやってるんだよ。理由によっちゃ、許してやってもいいんだよ。え、何でだい」

「いや、別に今のところは。もしかしたら何かに使えるかもしれないと思って」

「じゃあダメだ、やめとくれ」

「でも、誰かが画期的なことに使うかもしれないですし」

「ダメだ、ダメダメ!迷惑だって言ってるんだよ迷惑。わかるか?」

「よくわからないのですが」

「あのな、こういうことをするのは、この近所では“迷惑”って言うんだよ、特に最近はな!だからやめてくれよ」

「いえ、それは困ります」

「やめろ」

「やめない」

「やめろってば」

「やめません」

というような押し問答があるはずなんですよ。でも、そんなことが起こらないのは、ひとつは「技術」なんですよね。クルマでパーッと走れば、縁側のオッサンに捕まる前に、サーッと逃げられちゃう。で、技術というのは「こういうことが出来るようになった」というアナウンスがされたり、知識として行き渡ったりするのに時間がかかる。だから「いつの間にか、新しい技術を使ってすり抜けやがった」というのが「卑怯」と捉えられるんでしょうね。

それからもうひとつは、都心と住宅地の違い。公的空間と私的空間は、明確には切り分けされていないけど、その地域を知っている人には分かることだ。縁側のオッサンの心情が理解できる人間であれば「やっぱまずいよなー」と躊躇するはずです。それを黙ってできるのは、たぶん都会の共同体に対する共感のない、外人か田舎者だからなのではないかと思います。あるいはカネのためには。

別に何が何でもダメということではないだろうと思うのは、

「だいたい何のためにそんなことやってるんだよ。理由によっちゃ、許してやってもいいんだよ。え、何でだい」

ってことだと思うのですよ。「へえ、こんなことに使えるんだ!なら撮ってもいいや。十枚でも二十枚でも撮ってけよ!」ってことになるかもしれない。

ストビュー

21:2008年10月10日 20時41分
このサービスは なんだか怖いですね。
だって 思いっきり実家もはっきり写ってたので怖いなと思いました
犯罪などにも利用されそうなサービスなので規制は してほしいです。

「Googleストリートビュー」町田市議会が国に法規制の検討求める意見書

ストリートビューは、確かに何か気味が悪いけど、どういう理由で、どう扱われるべきかは、きちんと考えた方がいいと思う。「自分の実家が写っていたから」というのは、どこが理由なのか。こんなおバカな意見は、とりあえず無視していいんだろうと。

それから、いろんなブログで書かれている「オレにとってはデメリットよりメリットが多いからOK」という意見にも、同じデタラメさがあると思う。

プレリュードとフーガ op.87

ショスタコーヴィチの作品87(キース・ジャレットもECMで録音した「24のプレリュードとフーガ」)の第一曲の不協和音をどう弾いたらいいのか、お困りの貴兄に朗報です! 作曲者の自作自演がYouTubeにアップされていましたので、お知らせします。

作曲者の演奏解釈が唯一絶対ではないことは、言うまでもありません。しかし、ただ漠然と弾いて音を濁らせるのは芸がないなと思いつつ(特に00:49あたり)、アイロニカルな響きを出すのもありえなくないと頭を悩ましていた人は少なくないのではないでしょうか。・・・少ないでしょうね。でも、真空の宇宙空間に流れる音楽に似つかわしいこの傑作は、もうちょっと評価されていいと思います。

お袋んところば帰れ!

 SM誌に関する相談を受ける。正直言って、登場人物やライターの多くは、俺から見れば制度的で、商品的すぎる。こんなの「お約束」もいいところだ。逸脱こそがSMじゃないのか? そういうのは、ごく一部の地味な記事に限られている。おそらく読者のニーズは、そこにはないのだろう。

 逸脱合戦だったら、そんな見掛け倒しよりも、もっと外にツワモノがいると思う。例えば企業の研究室とか、組織の中に。単に性的倒錯という意味ではなく、逸脱と驚愕と爆笑のイノベーションを起こすことばかり四六時中考えている者という意味で。

 傷つけると可哀想なので、あまり言いたくないが、パンクのファッションブランド名をペンネームに持つライターの書いたものなんか読むと、黒澤明の映画のセリフを返したくなる。

「子供は刃物を持つんじゃねえ! お袋んところば帰れ! 水粥啜っても長生きした方が良かあねえか!」(『用心棒』)

They Are There! その2

以前のエントリーで紹介したThey Are There!を、ギター2本でやっていた人がいたのでアップ。

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