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サングラスを掛けたピエール

香山リカちゃんのお父さんは指揮者で、名前がピエールというのを聞いたとき、「え、もしかしてリカちゃんのお父さんって、ブーレーズ?」と思ったものだ。あの「管理された偶然」の作曲家で、CBSソニーに革新的なストラヴィンスキーを録音した指揮者、ピエール・ブーレーズだ。IRCOMの初代所長だ。

最近YouTubeで見つけた動画では、“リカちゃんのパパ”は、サングラスを掛けてドビュッシーを指揮している。45秒あたりから。狂気の沙汰だ。リカちゃんも大きくなったら「オペラ座を爆破せよ!」とか言うようになるのだろうか。「シェーンベルクは死んだ!」と怒れる男に魅かれるようになるのだろうか。

もしかしたらブーレーズ(Pierre Boulez)じゃなくて、ピエール・モントゥ(Pierre Monteux)かもしれないけど。

選ばれし乙女

itmediaの「ブロガー座談会」を読んで、いやあ自分はもう若くないなと思った。ていうかそもそも40過ぎのオッサンだけど。本当に新しいものを生み出すのは、完全に次の世代に任せよーっと。邪魔はしないように・・・。とすると、中年は中年の芸風を、もうちょっと意識的に楽しむかという気になる。巷でブログのタイトルに使われている似非の「ひとりごと」「つぶやき」ではなく、近似値から抜かりなく逸れていく本物の「ひとりごと」な!

ドビュッシーの初期のカンタータ「選ばれし乙女」のリハーサル風景。このアングル、誰が撮ったのw ソプラノはナタリー・デセイ! オケはラジオ・フランス・フィル、指揮はチョン・ミュンフンのようだ。

*本番は声ガラガラだったらしい?(http://d.hatena.ne.jp/Ume3/20071225/p1)「クープランの墓」「選ばれし乙女」「ラ・メール(海)」「ラ・ヴァルス」という素晴らしいプログラム!でもチョン・ミュンフンじゃ、ただマッチョで味わいないだろうな。

この曲の評価は、世界的に不当に低い。高校生のとき、この曲のスコア(総譜)(と生身の「選ばれし乙女」)にすっかり魅了されて、勉強が完全におろそかになった。・・・この曲がいかに魅力的か。そんな話題の座談会ならいいのに。まあ、いまメディア上のモラルとして、クラシック音楽みたいな“ハイカルチャー”は話題にならない、という暗黙の了解みたいなのがあるけど。

「選ばれし乙女」をハイカルチャーの範疇に押し込んで、文字通り廃カルチャーにしているのは、サブカルチャー側ではないかと思う。「そんな気取ってお高くとまってさ」とか。いや、面白いよドビュッシー。分からないのは受け取り側の問題だと思う。ドビュッシーが楽しめた方が、楽しみの幅が広がる。もちろん、どうしてもハイカルじゃないとダメな人も確かにいるけど。

気づいたら、広告の話になっていた。

失念会。気づいたら、広告の話になっていましたね。広告表現が、良くないと。しくみも良くないし。正直、僕は広告なんて、それによってどれだけ売れたかが重要だと思うんだけど、その手段としての表現が、あまりにお粗末だなと。結局、そのとき話題になっているテレビタレント使って。そういうのに慣らされて、それで買っちゃう大衆もバカなんだけど。政治家と同じで、選んだのは自分達なんだわな。売るという目的は外さずに、きちんとした表現になっているか。結局、みんなどうでもいいんだろうなそんなこと。クライアントも判断する感受性が弱くなっているかも。

『デザインノート』No.22 の座談会でタグボートの岡氏、川口氏と佐藤可士和氏が鼎談しているけど、佐藤氏がいう、広告表現としてではなくプロジェクトのコンセプトとなるキーワードを、コピーライターを交えて作っていく手法には共感できる。一方、プロジェクトの途中で、広告の構成要素として(?)コピーライターを呼ぶ岡氏の手法は、共感できなかった(正直、「ああ、だからか」なんて生意気なことを考えてしまった)。そのほか、広告表現もプロジェクトのコンセプトも、最初のコピーありきで進んでいく(コピーライターがクリエイティブディレクター)という昔の手法にも、少し魅かれる。発展段階としては、最初に表現としてのコピーありき→構成要素としてのコピー→コンセプトとしてのコピーなんだろう。

別に、広告業界で「あれって凄かったね」なんて持ち上げあうようなものじゃなくていいんだけど、なんか、もうちょっといい表現に触れていたいと思う気持ちが強くなっている。詩というか文藝というか。もうそんなもんはすでに死んだのだと思うけど、完全に死んでからは、まだ30年くらいしか経ってないとすれば、自分は小さいころに、生きていたそういうものに触れていた気がする。「これいいよね」「これより、こっちの方がいいよね」という判断に対して「どっちも同じじゃん」「違いなんてわかんないよ」というしたり顔ばかりが増えていくのは、どうにも気持ちが悪い。まあ、そんな文句言うなら、自分の文章を何とかしろとww 確かに。しかし、自分が書けないから、他人の表現にも甘くなれというのはどうかと。

別に、昔のCMが良かったな、ということではなくて。

ジョン・ラッターのクリスマス

クリスマス・パーティーにかける音楽に迷っている方にオススス。

http://jp.youtube.com/watch?v=S6SScEiiaJ8

欧米か!(古ッ

『カラヤンがクラシックを殺した』は必読(2)

「ブルーノ・ヴァルターはモラリストだ。素晴らしい。しかし私はモラリストではない。断じてモラリストではない、それがどうしたというのだ。」

このエピソードには、密かに頷かざるを得ない。断じて密かに!しかし、本当にこんなこと言ったのだろうか、あの変態クレンペラーが。

と思っていたら、やっぱりYouTubeにありましたよ~(部分)。

リハーサルのときに、ズボンのチャックが開いているのを指摘されて、

「そのこととベートーベンの音楽との間に一体どういう関係があるんだね?」

と言っている動画もあると嬉しいんだけど・・・。さすがに全裸のクレンペラーが、バッハの『ミサ曲』のスコアを見ながら、

「不可能だ、このパッセージは決して演奏できない。不可能だ」

と言ってるやつは期待できないけどね。

『カラヤンがクラシックを殺した』は必読

宮下誠先生、きょう市ヶ谷で偶然『カラヤンがクラシックを殺した』(光文社新書)を買いました。

ビックリしました。僕もかつて、カラヤンについて同じことを考えていましたし、カウンターとして想定していたのもクレンペラーとケーゲルでした。たしか、20年も前のノートに、そう書いた記憶があります。

まるで自分が書いたような錯覚に陥りました。というのは間違いで、ハタチそこそこでそんなことを書こうとしたのが誤りだったということが分かりました。

このことを書くには、大衆について、世界について、音楽を聴くということについて、語られなければならないのです。そういう意味で大げさという評は当たらず、必然的な記述と思います。(もちろん、世界全体を書こうとしても上手くはいかないのですが。)

小市民を気取っていましたが、目が覚めました――と考えながら読み進めたら、本当に「小市民たちよ、目覚めよ。」と書かれていて噴き出しました。ぬるま湯の風呂桶から出ようと思います。そろそろ出ようかなと思っていたのです。

アウシュビッツの後で歌を歌えるかということ、クレンペラーの「ポリフォニー」、カラヤンの「パロディ」、まったく共感しました。・・・ケーゲルのビゼーについては、もうちょっと字数を割いてもよかったかなと。私にとっては10年に一度の衝撃本でした。(10年前が何だったか思い出せないのですが。)

この動画。ソニーと、ポルシェと、1万ドルのエピソードは象徴的ですね。

女と爆発

あんまりCGうまくないところもあるけど。

三善晃『レクィエム』歌詞

※検索のために

誰がドブ鼠のようにかくれたいか!
誰が肩と膝とモモネを腫らし
しびれた眠りを削って銃を磨きたいか!

――上野壮夫「ラッパよ鳴るな」

・・・・・・
シカシ、ヤッパリ殺シテイル
歯ヲ食イシバッテ殺シテイル。
甚太郎オジサン
殺サンゴトシナサイ
殺サンゴトシナサイ
・・・・・・
コレハ、ドースレバヨイカ
ドンナコトヲスレバヨイカ
・・・・・・
甚太郎オジサン
ドースレバヨイカ
ソレヲ山東カラ書イテヨコシテクレ
ザンゴーノ中カラ
・・・・・・
カチカチ フルエル手デ
血ダラケニナッタ手デ
・・・・・・

――三好十郎「山東へやった手紙(3)」

・・・・・・
それはそんな古いはなしではない
おとなしい象はどうして殺されたか
・・・・・・

――秋山清「象のはなし」

・・・・・・
おお
顔をそむけるな母よ
あなたの息子が人殺しにされたことから
眼をそらしなさるな

――中野重治「新聞にのった写真」

・・・・・・
コットさんはいう。
―冬がすめば、春がきますよ。
・・・・・・
米ありません
薪ありません
・・・・・・

――金子光晴「コットさんのでてくる抒情詩」

・・・・・・
あきらめてください。泣かないで下さい。
お父さん、お母さん、
時ちゃん、敬ちゃん、さようなら。

――信本広夫 二飛曹

泣いて下さいね。
やっぱりあんまりかなしまないで下さい。
私はよく人に可愛がられましたね。
私のどこがよかったんでしょうか。・・・・・・

――林市造 海軍少尉

お父さん、お父さんの鬚は痛かったです。・・・・・・

――上西徳英 一飛曹

房姉さんにもらった桐の木は大事に育てて下さい。・・・・・・

――松永篤雄 二飛曹

・・・・・・死せる我が名を呼び給うな。

――小薬武 飛曹長

・・・・・・
ああ あなたでしたね。
あなたも死んだのでしたね。
・・・・・・
西脇さん
水町さん
みんなここへ戻って下さい
・・・・・・
どのようにして
死なねばならなかったか
語って
下さい。
・・・・・・
行かないで下さい 皆さん、
どうかここに居て下さい。

――石垣りん「弔辞」

これを食べてください
あなたの口でたべてください。

あの土に植えました
あの土に芽をだしました
・・・・・・

――黒田喜夫「黍餅」

人が死ぬ
その
世界の
ひの中に
わたし一人いる
そして、
わたしもしぬ
世界にはだれもいない
ただ
かじが
きかいのように
もうもうともえていた

――田中予祐子(予始子)「ゆうやけ」

たまきわる いのちしななむ ゆうばえの
ゆるるほなかに いのちしななむ

――宗左近「夕映反歌」

開封

「三善晃の音楽」開封。インポートして寝る。ニコ動の「響紋」をアップ。

こんどのCDは、まあまあ音はいいけど、やっぱ生じゃないとな、というのはある。

エルガーのコンチェルト

日がなパソコンの前で仕事して、地下鉄で帰宅して、寝て、地下鉄で通勤して、またパソコンの前に張り付く毎日を送っていると、空間の広がりが意識にもたらす影響を忘れてしまう。屋上に上がって夜空を眺める。たぶん、ネット“空間”に無限の広がりを見ているのは、男性的意識なのではないだろうか。ネットは、その向こうに他者を見なければ、ただの“鏡”だ。合わせ鏡に無限の空間を見るのは錯覚だ。女性はもうちょっと地続き、あるいは即物的にモノを見ていそうな気がする。

ジャクリーヌ・デュ・プレのチェロ

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