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坂本龍一「音楽は自由にする」

坂本龍一の「音楽は自由にする」を読む。最初に感じるのは、文体への違和感だ。聞き書き(インタビュー)だから、それがライターの口調に近くなってしまったのか、インタビューに答えるときだけはあのように話すのか、それは分からない。とにかく、坂本龍一がこれまで書いたものや、音楽とは違って、素朴というか、稚拙な印象すら受ける。

そもそも、インタビューを書き起こしたものを基に、本人が一人称で語ったようにしているわけだから(「現在ぼくは、音楽を職業としています。」という風に)、最初から倒錯したつくりになっている。でも、最終的にはこの文体が功を奏して、音楽で食べることになったのも、YMOに入ったのも、映画音楽を書いてアカデミー賞をとったのも、「偶然のなりゆき」なんだという説明を、後付の変な言い訳ではなく、本人の素直な告白と受け取ることができるようになっている。

印象に残ったのは、ドビュッシー(の弦楽四重奏曲)との出会いの部分。坂本龍一は中1でベートーベンの楽譜を読み込み、その古典的感覚を持って中2でドビュッシーの衝撃に出会うわけだが、こういう聴覚体験を得ることは、いまの若い子たち(笑い)には困難だ。最初からテクノもパンクもボサノバも一緒に、テレビやコンビニのスピーカーから雑多に流れてくるから、何を聴いても既聴感があって、聴覚体験に意識的になれない。

それから、この本には、僕の大好きな2つのアルバム、坂本龍一の『B2-Unit』と、YMOの『テクノデリック』の誕生について書かれた部分があるが、ここを読んだときには本当に胸がすく思いがした。坂本はYMOのヒットによって巻き込まれた状況への憎悪をバネに、2ヶ月間誰にも会わずに、YMOを仮想敵として『B2-Unit』を作った。で、その後、メンバーとの確執を乗り越えて『テクノデリック』を作った。坂本自身は、このアルバムを「120点の出来」と呼んでいるが、まったくの同感。YMO=ライディーンというイメージにずーっと違和感を持っていた、僕のほうが正しかったんだよホントは!

で、僕はどちらかというと坂本龍一が嫌いで、細野さんが好きだったのだけど(その傾向は今もあまり変わらないが)、僕が坂本さんを嫌っている時期というのは、坂本さんも相当イラついていたということが分かった。「片手間にやります」と始めたものが、こんなことになるとは思わなかったわけだ。そういう理由があってのことで、本当に嫌味なヤツというわけではないようだ。

あと、「エナジー・フロー」を聴いて、何だこの曲、カッ弛んでやがる、まったくサカモトって野郎は格好つけやがってよオ!、と思っていたけど、本人も「どうして売れたのかは、いまだにわかりません」と言っている。僕も分からない。あんなもん、いい曲じゃないんじゃないか。「いい曲かどうかは、聴く人が決めればいい」なんて人がいるかもしれないけど、そんなもんはある程度決まっているんですよ。あれは、大してよくないんですよ。よくないものをよいという人が、よいと言っているだけ。本人も分かっているし、分かる人には分かる。あんなもんでサカモトが評価されるのはおかしい。

こういうことを確認して溜飲を下げることができる、とてもよい本です。坂本さん、いろいろ誤解していてすみませんでした。これからよろしくおねがいします。

坂本龍一 音楽は自由にする

池田亮司展にはモノクロームな服装で

池田亮司「+/−[the infinite between 0 and 1]」展を、東京都現代美術館に見に行きました。とてもよかったです。ディジタルな視覚・音響空間に身を晒してきたはずなのですが、まるで瀧を見たり、静かな寺のお堂にでも行った感じ。「禅」ですかね。この日は激しい雨が降っていたので、お客さんも少なく、展示を見終わった(といっても重要なのは音響)後に、中庭に水が溜まって雨が降り注いでいる風景を見ることができて、「あ、今日は当たりだ」という感じがしました。雨の日はお勧めです。

これから行く人は、何の予備知識もなく行ったほうがいいと思いますが(ホームページに書いてある「・・・全く別の世界体験を作り出すこと。」とかいう文章は読まずに)。誘い水としては、映画「マトリックス」や宮島達男が好きな人は行ってよいのではないかと思います。ただし、それらとの関係など考えずに。

没入するには、モノトーンぽい服装がお勧めで、なるべく荷物を少なく(持ってきてしまったらコインロッカーへ)。館に行く道中ではヘッドフォンを外し、地下鉄の音や、道路を行き交う車の音や、鳥のさえずる音に耳を開いて向かうといいと思います。会場では、自分なりのお気に入りの音響空間を探って、うろうろしてください。それから忘れてならないのは、履物を脱ぐコーナーがあるので、穴の空いていない靴下でいくこと。

企画展を出ると、常設展の入り口に、ヤノベケンジの「ジャイアント・トらやん」がありました。これも一見の価値あり(2009.8.2まで。火は噴かない)。メイキングのビデオに見入ってしまった。常設展には、大竹伸朗の多様な作品がありました。そしてミュージアムショップへ。企画展のカタログの表紙には、浅田彰が「多様性の<美>よりも無限の<崇高>へとむかう・・・」というようなことを書いていたが、池田さんと大竹さんの作品を両方見ると、まさにそういう感じ。

そういえば、美術館でこれだけ音響に凝った展覧会はなかったと思うのですが、これからは、企画展のキュレーターは、自分の選曲した音楽を流すのも面白いのではないかと思いました。文句を言う人もいるかもしれませんが、はまれば相乗効果はあるのではないでしょうか。マンネリになりがちな常設展でも。だいたい、現代美術館の常設展には、コーネリアスのビデオとかが流れてていいと思う。美術展は無音でなければ、とも限らないでしょう。

陽の当たる大通り

いぜんのエントリー「そんなんじゃ泣けない」にアクセス増加。それで思い出したが、YouTubeにキリンジの「陽の当たる大通り」がアップされていました。
「死ぬ前にたった一度だけでいい/思い切り愛されたい」・・・なんという渇望と断念。

まだ「再生回数: 193」ですけどね、この数は爆発的に増えるでしょう。消されないかぎり。オリジナルはこちら。ピチカート・ファイブのカバー集『戦争に反対する唯一の手段は』所収。なお、アルバムタイトルになっている言葉の続きは、「各自の生活を美しくして、それに執着することである。」

戦争に反対する唯一の手段は。 - ピチカート・ファイヴのうたとことば - -music and words of pizzicato five-

「ハートランド」と六本木ヒルズ

いまは酒も煙草もやめたが、学生の頃は、朝、ゴードンをラッパ飲みして、両切りのゴロワーズで一服しないことには、床を出ようという気にもならなかった。世はバブル真っ最中で、お姉ちゃんたちはワンレン&ボディコンという、目も当てられないほど田舎くさい格好をしていた。全くセクシー(笑い)じゃなかった。19歳のお誕生日祝いに伯父さんから買ってもらった赤いBMWに乗って、同級生の女の子がアパートまで迎えに来てくれた。助手席に座りながら、「あー、早く景気悪くなんねえかなあ」と思った。

そのころの六本木には、大正期に建てられた「つた館」という洋館がまだ残っていて、シックなビアホールに改装されていた。キリンの「ハートランド」というビールが出て、とても美味しかった。そこで大量に買い込み、居候先のマンションで飲んだ。その後、売っている店を見つけて、店の在庫を毎日のように買い尽くし、全部飲んだらビンを持っていって換金し、そのカネでまたビールを買って、また飲んで換金して買って飲んだ。

「つた館」では美術展やコンサートがあり、ある日、六本木WAVEの帰りに寄ってみると、偶然、弦楽四重奏が出演していた。最前列に座って連れと飲んでいると、男たちが4人やってきて、曲を弾いた。「リゲイン」のCM音楽だった。

曲が始まった瞬間、もの凄い衝撃を受け、食べ物がのどを通らなくなった。腰が抜け、「世の中には、とんでも無い人たちがいる」という敗北感にかられて、涙ぐんで帰った。それもそのはず、その日の出演は、斉藤ネコ・カルテットだった。ファーストヴァイオリンの斉藤ネコ氏は、20年後、椎名林檎との競演や編曲で有名。

チェロの藤森亮一氏は、モルゴーア・クァルテットでショスタコーヴィチの弦楽四重奏を全曲録音し、いまはNHK交響楽団で首席を張っている。わざわざ、あんな人たちに打ちのめされなくてもよかったのに、と思う今日このごろ。その後「つた館」は取り壊され、跡地に六本木ヒルズが建っている。

シンフォニア/虹の理論/ミシェル

ニコニコ動画で、やり残した何かをしておきたい気になってはいたが、それが何か思い出せない。で、その「何か」かどうか分からないが、今日ひとつ思いついたことがあった。しかし心身ともに余裕がないので、検索でこの記事に当たったまだ見ぬ人は、次の課題を実現してコメント欄で知らせてください。

ルチアーノ・ベリオという作曲家に「シンフォニア」という曲がありますが、この第3部は全編引用(コラージュ)で出来ています。ベースはマーラーの第2番の交響曲「復活」の、第3楽章です。この曲をニコニコ動画に取り込んで、何の曲の断片がいつ出てきたか、リアルタイムで注釈を入れていっていただけませんか。

ラヴェルの「ラ・ヴァルス」(1:29)、ドビュッシーの「海」(2:12)、ストラヴィンスキーの「春の祭典」(3:15)、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」(5:44)などは分かりやすいのですが。シェーンベルク、ベルク(5:00で一瞬?)、シュトックハウゼンとかも入っているらしいけど、分かりません。(後半の2:41でベートーベンの「田園」発見。エンディングでなぜか地球w)

それから、中沢新一の『虹の理論』の後半(虹の理論2)の冒頭で、友人の作曲家L-Bとあるのは、ルチアーノ・ベリオのことでしょうか。もし、そうだとすると、文中の「シンフォニア」とは、まさにこの『シンフォニア』(1968-69)であり、ニュー・スウィングル・シンガーズが歌っていたレヴィ=ストロースやサミュエル・ベケットなどのテキストは、中沢新一が選んでいた可能性があります。しかし、中沢新一は1950年生まれなので、18歳のときの仕事ということになりますが、そんなことはありうるのでしょうか。

ただ、「虹の理論2」では、「魚に説教するパドゥアの聖アントニウス」について触れられていたはずで、ということは「復活」第3楽章をベースとするシンフォニアと非常に密接したテキストになるので、そこまで計算づくだったかと感心するのですが。

それから、すみませんついでで。ルチアーノ・ベリオは、ビートルズの「ミシェル」のストリングスの編曲をしたという説があるのですが、これは本当でしょうか。もしそうだとすると、「シンフォニア」と全く同時期の仕事だということになりますね。

・・・あ、すみません。このことはウィキペディアに書いてありました。と思ったけど、聴きなおしてみたらストリングスないですね。てことは全編、アレンジはベリオ?

いもやの天ぷら

たまたま時間が合ったので、昼過ぎに神保町の「いもや」で天ぷら定食を食べる。狭い、あっちの方の店だ。

いもやの天ぷらを食べると、いつも「死」が頭に浮かぶ。なぜだろうかと考えると、あまりにも好きなので「死ぬ前に食べたい」という言葉が連想されるからだろうと思う。あの味、あの見映え、あの値段(600円)。どう考えても金儲けではない。単なる食べ物に終わるものでもない。あれは美学だ。・・・死とは何か。いもやの天ぷらが食べられなくなることだ。

そもそも美学は、どうしようもなく死に追いやられようとするときにこそ必要になる。そういう状況に対して、なんとか抵抗しようとするのだと思う。もうひとつは、似たようなものなのだが、生きるに値しないと感じられる日常を、どうやって乗り越えるかというときにも求められる。

「死ぬ前に食べたい」というときに、いもやを選ぶのも一種の美学ではないかと思う。ここでフランス料理なんか頼むわけにはいかないし、やっぱりお茶漬けとかガラスープとか、カップスターとかを食べたい、なんて決していいたくないのだ。それはもはや、天ぷらがのどを通るとか通らないとか、気分や食欲の問題ではない。

おやじさんも相変わらず忙しそうだが、調理中に注文する客に文句もいわず、帰る客にはありがとうございましたと言い、実に素晴らしい仕事ぶりだ。客は、頼む前に心を静め、おやじさんに「何にしますか」と聞かれるまで黙っていた方がよいと思うが。

美学を必要とする人は、不幸だ。そんな人はいなくなれば幸せなことだが、なかなかそうもいかないので、あのごま油の香りの店には、いつまでももってもらいたいと思う。そういえば「とんかついもや」が閉まっていたが、ウェブで検索してみたら、もう1年半も前に閉店になっていた。

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