« July 2009 | Main | September 2009 »

もう、はしゃぐこともなくなった(笑い)

さあ、夏も終わりだ。・・・別に何の意味もないがな!
僕の好きな「2年間の変化」。

サマーヌード(1995年6月)

ENDLESS SUMMER NUDE(1997年7月)

反―リンダリンダ論

mixiなどのSNSを近く整理しようと思うので、過去に書いたものもの一部を、メモ代わりにこちらへ退避させておく。特に、しつこいようだが、上野壮夫が「ラッパよ鳴るな」で「誰がドブ鼠のようにかくれたいか!」と詠んでいる脇で、「ドブネズミみたいに美しくなりたい」などと楽観的なことを言えない。

☆「リンダリンダ」(2006.1.15)

「ドブネズミみたいに美しくなりたい/写真には写らない美しさがあるから」とは、論理的なトリックである。

ドブネズミ
=(1)一般的な意味で美しくない
=(2)写真に撮っても当然美しく写らない
=(3)写真には美しさが写らない
=(4)写真に写らない美しさがある

問題は(3)から(4)に起こっている論理的な飛躍。
ここでの(3)は、当初は個別の問題(ドブネズミを撮っても写真には美しさが写らない)であったが、いつのまにか一般論(写真<というもの>には<そもそも>美しさが写らない)にすり替えられている。そして、そこに姿かたちが美しくない者たちの願望(写真に写らなくても美しいものがあってもいいのでは)も重なって、「ドブネズミ=美しい」という構図が捏造された。

仮に(4')として、写真には写らない美しさがあるとしよう。というか、そのようなものは、言葉の使い方として実際あるのだ。それは「心、魂の美しさ」であり、「行為の美しさ」である。だが、ドブネズミの行為の美しさを私は見たことがないし(小石川あたりで残飯を取り合う、でかいドブネズミは見たことがあるが)、心や魂の美しさなど確認のしようもない。やはり根拠ないのだ。

根拠のないものには従わない(Paul Valéry)というアナーキストの立場としては、この歌詞は肯定できるものではない。本来のパンクの姿勢というのは、騙されることに敏感になって、根拠がないのにもかかわらず威張っていたり尊いとされているものに対して反抗するものだが、日本のパンクは、そこまで腰の据わったものではものではないから、あっけなく騙される。というかみんな進んで騙されたいのだろう。そんな手軽なガス抜きに付き合うと痛い目にあうぞ。

黙祷

前回、いつ掲載したんだっけ?見当たらないのでわからない。もう、本当に何度もたびたびかもしれないが、やはりこの時期には、あらためてこれを聴かざるを得ない。別に、この時期だけじゃなくて、東京大空襲のころとか・・・というか、季節は関係ないですね。年中聴いています。

人が死ぬ
その
世界の
ひの中に
わたし一人いる
そして、
わたしもしぬ
世界にはだれもいない
ただ
かじが
きかいのように
もうもうともえていた
――田中予祐子「ゆうやけ」

全歌詞はこちら

「あんなにも近く、親しく、私もその隣にいたという意味で平易ですらあった死者たちの死に、地上のどのような希いも祈りも慟哭も届きようがないことをさとるためにしか、私は「レクイエム」の音を書き綴らなかったのだ」(三善晃)

三善晃「響紋」

家族が2階のトイレを使いたがらなくなった。

三善晃や武満徹の本が積んであるから、怖くて「出ない」のだそうだ。

「疎開から戻ったあと、東京大空襲に遭ったのですが、累々と死体が横たわっている上を私はまったく無感動で死体を飛び越えて歩いていたのです。天に向かっ て突き出ている死体の指を引っ張ったら、手袋が脱げるように肉が取れた。多摩川で水遊びしていたら、隣にいた子供たちが機銃掃射で真っ赤に血を流して死ん でしまった。それを見ても、自分はただ着替えて自分の家に帰ってくるだけなのですね。その後、私は40、50代まで、生きていることの罪の意識から離れ ることが出来なかった。疎開で飢えて歯磨き粉や絵の具も食べてしまった。畑からイモを盗んできて、やはり飢えている妹にはやらずに自分だけで食べてしまっ た。私は早く死ぬべきだったと、生きていることの罪を思い、さいなまれるのです」(三善晃

続・若杉弘追悼

ブログのアクセス数が急増しているのでなぜかと思ったら、先週のN響アワーを見てネットを検索した人が大勢いたらしい。で、思い出して録画していたN響アワー「若杉弘さんをしのぶ」を観る。番組で最初に取り上げたのは武満徹の「弦楽のためのレクイエム」だった。「若杉弘追悼」の中で「武満の音楽をもっともよく理解して演奏したのは、・・・若杉さんだったと思う」と書いておいてよかった。

若杉さんの指揮ぶりは、生前客席からしか見ていなかったら、番組で初めてわかったことだが、「レクイエム」にしても、番組の最後で紹介されたマーラーの交響曲第9番(アダージョ)でもそうだが、音楽の流れに没入するのではなく、目を開いて、スコア(総譜)をたびたび見ながらタクトでアインザッツ(合図)を盛んに出していた。「ピノさん」というニックネーム(「ピノキオ」に似ているという意味)通り、木製の人形のようにカクカクした動き(特に縦の棒の多さ)が音楽にはそぐわない感じがする。

※2009年8月17日動画追加:16日にYouTubeにアップされたので。

しかし、画面を見ずに、もういちど音だけを聴いてみると、複雑なテクスチュア(響きの肌理)がよく出ていた。これは、歌手に的確な歌い出しの合図を出すのが重要な役目であるオペラ指揮者ならではのアプローチが成功しているのか、それとも指揮者があまりに邪魔くさいのでオケがコンサートマスターに食いついているのか(岩城宏之は確か指揮者の仕事は「オーケストラの邪魔をすること」と書いている)、どちらか分からないけれど、流れが分断されているようなことはなかった。

意外というか、やっぱりというか、いちばん指揮が輝いていたのは、ベルクのオペラ「ヴォツェック」の断章をやったときで、若杉さんはこれを複雑とは考えていただろうが、難解とは考えていなかったのではないかと思う。おかしいほど活き活きとしていた。若き佐藤しのぶもよかった。「若杉弘さんをしのぶ」は駄洒落か。

また、若杉さんへのインタビューで、ドレスデンのオケで「魔笛」を振ったとき、自分のタクトとは全く違った、しかし自分のイメージを遥かに超える豊かな音が出てきたので、オケに謝って最初からやり直したというエピソードが紹介されていた。そりゃそうだろうな。これは歴史のなせるわざであって、日本のオケに求めてもしようがない話。オケの文化の問題ではあるが、結局は構成する一人ひとりの自発性、主体性の問題というところが悩ましい。

アバドとマーラーユーゲントの演奏で。

大原麗子追悼

祖父は酒に厳しかったはずだが、本当は一番好きな酒は、サントリーレッドを水のように薄めたものだと言っていた。何となく分かる気がする。

大原麗子の死によって失われるものは多い。

広島の犠牲者に捧げる哀歌

クシシュトフ・ペンデレツキ「広島の犠牲者に捧げる哀歌」

たぶん(たしか)、「広島の犠牲者」というのはシンボルであり、作曲家は戦争の犠牲者全体に対する追悼として書いたはず。

amazon


December 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

Recent Trackbacks

無料ブログはココログ

twitter

  • twitter