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小林太市郎のこと

2009年は最悪な年だった。まあ、これまでも最悪な年はあって、過ぎてみればそのころ我慢しておいてよかったとも思うから、また数年経ったら違う印象かもしれない。

実家に帰って小林太市郎著作集を読む。ジョルジョーネの「嵐」などの西洋絵画を、フロイティズム(ちんちん理論)で読み解いているところが、久しぶりに読んで楽しかった。ただ、文中にフロイトは一切登場せず、根拠となっているのは井原西鶴の「人間は欲に手足の付いたる物ぞかし」だけ。日本の和歌も援用されていて、やっぱ日本はすごいわと思わせておいて、実はとうの昔の中国の漢詩にそんなことが謡われているとかわす。京都の碩学は博覧強記のレベルがまるで違う。「19世紀末なんて昨日の話。昨日今日で新しいことなんてあるわきゃない」と言わんばかりだ。歴史の厚みに対する認識の違いだろう。(歴史ったって龍馬とかじゃなくてね。)検索してみたら、ウィキペディアに小林太市郎の項目ができていた。以前はネット上に1件も情報がなかったのに。「東洋のブルクハルト」「明治以後の日本で最もすぐれた美学者」が、なんでこんなに知られてないのか。「教授会に一度も出」なかったからだろうな。

新年のネットを見ていると、やれ紙がなくなるだの、従来の編集者は用をなさなくなるなどと騒いでいるが、もしそうだとしても、ネットがそれに代わる価値を提供できるとは限らない。今日、神保町の三省堂書店に行ってきたが、棚に並ぶ本の半分くらいは最初から読むに値しないクソ本で、それはネットがあろうがなかろうが関係ない。残り半分のうち、さらに半分くらいは、ネットにある最上のコンテンツによって置き換えられ淘汰される可能性はある。その意味で、確かにネットの存在意義はある。しかし残りの2~3割は、やはり人間の数百年の知の積み重ねが産んできたものであって、本として残るだろう。少なくとも、ウェブで小林太市郎著作集のようなものは読む気になれない。もちろんネット上で誰もがアクセスできるようにすることに異存はないが、それと「本はなくなる」を一緒にできるものか。出版社の経営が成り立たないには現実だとしても、読む価値のある書籍が手にできなくなるのは、自分にとって明らかに不幸なことで、何らかの衰弱だ。

ただ、言っている人の気持ちも、分からないでもない。「ああ、あなたには小林太市郎著作集は必要ないのですね」、だからネットだけで用が済むようなことが言えるのだと。確かに、自分が食い扶持を得るために必要な情報と環境はそうかもしれないが、世の中には「こんな貧しい言語環境に置かれていると気がおかしくなる」とイラついている人もいることを知った方がいい。それとも現代人はその環境に適応すべきというのか。いやなこった。民主主義のシステムを変えることは興味深いが、ツールで変わるものと変えられないものがある。情報もしかり。ということで、2010年は教授会には一度も出ず、ネットに触れない時間をできるだけ増やして、紙の本を読みながらおとなしく過ごそうと思う。

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