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小学校の合唱指導

都内の小学生の合唱祭を見に、府中まで行く。小学生の可能性の高さとは、単に彼らの年齢が低い(余命が長い)からというだけではなく、適切な教育によって能力を引き出され鍛えられれば、すでに相当なことができるという意味だ。「おめえは小学生かよ!」と小馬鹿にする言い方があるが、あれは今どきの小学生には失礼だ。いかに自分が小学生時代にぼんやり過ごしていたかを示す証拠にしかならない。とくに中学受験の準備に余念がない東京の小6生の中には、普通の大人より知的レベルが高い子も結構いるのではないか。これは大人があまりにも怠惰ということでもあるが。

話を戻すと、合唱の指揮は指導者である(音楽)教師が担当しているのだが、これが素人目に見ても首を傾げたくなるのが多かった。身体の中心で、ヒジをたたんで一生懸命4拍子を振っている人ばかりなのだ。声を伸ばすときも刻むときも、同じような動きをひたすら繰り返している。子どもたちは、目から入る情報と、自分が声でなすべき表現のギャップを、頭の中で必死に処理しながら歌っているのである。実にバカバカしい。今日は自分が人前に出る晴れの舞台と勘違いしているのだろうか。あれなら指揮なしで、ピアノだけで歌わせた方が、よほど表現力が出るというものだ。指揮の役割を考えない教師のしわざだ。

また、妙に深刻風な曲を選び、芝居がかった顔の表情や、過剰な腕の動きで、子どもたちに大げさな(正直、品のない)表現をさせる指導者もいた。これは好みの問題か、もっと別の考え方レベルの違いかもしれないが、あんなこと《趣味の悪い、教師の自己満足》は決してすべきではない。一見、「ひたすら4拍子」の対極にあるようにも見えるが、実は同じ「現代日本の合唱指揮」の典型的対応のひとつでしかない。

小学生の合唱指導(=教育)とは、子どもたちの潜在的な能力を自然に引き出すというか、彼らが自分たちでお互いの声を聞き、考えながら歌うようにしむけるだけで十分なはずなのだ。もちろん、それができるようになるための基礎的なノウハウや訓練は必要だ。しかし、ひきつった笑顔や振付を強制したり、プロの合唱団でもないのに児童全員の声質を揃えようとしたり、声質の違う児童を舞台から外したり、なんていうムダなことはぜんぜん必要ない。

今日12校くらい見た中では、まともな指導をしていると思われる指導者が、ひとりだけいた。いい意味での子どもらしさを温存して、のびのびと歌わせていて実に好感が持てた。限られた時間で集中的に練習をしたのだろう。適度な即興性も残っていた(訓練が厳しい学校では表現が完全に硬直している)。そこで興味を持ち、駅までの帰り道にそっとその若い男性教師の後をつけてみた。他の教師が強圧的な態度で生徒を統制していたのに対し、その教師は生徒一人ひとりに感謝の気持ちを述べたり、これからどうやって世代交代をしていくかについて生徒たちの意見に耳を傾けていた。ああいう指導を受けた学校の生徒は、これから先も、先生の指示を「小学生」のようにポカンと待って忠実に従うだけでなく、自分の頭で考えようとする子になるだろう。

一方、あの芝居がかった年配の女性に指導された子どもたちは、その後どうなるのだろうか。他の歌でも、あのスタイルを踏襲していくのか。そうでなければ、いわゆる(あの、趣味の悪い)「現代日本の合唱」の再生産に貢献していくのだろうか。余計なお世話だが、気の毒な感じがした。あれは教育ではないし、なにしろ音楽でないところが致命的だ。

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