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バルト2(このまま新宿バルト9まで行くのか)

前回の続き。「メモワール・ア・巴里」より。

退屈なんかしたことがない、という人は、どうも胡散くさい人が多いし、なんだかかわいげがないように思えて、こっちが退屈させられるものだ。ロラン・バルトを知る人が、一様に証言しているのは、彼が引っ切りなしに退屈する人だった、ということだ。それは子供の頃からの兆候だったらしい。だからそんな彼にとって、いわゆる「プロ」と呼ばれる、退屈もせずに、専門分野にこつこつ打ち込む人間は、ひどく時代遅れに見えたし、彼は「素人」でいることの愉しさを、十分に堪能していた。そして「未来の国では、全員素人の時代が来るはず」とも断言している。

バルトの親友であり、老舗出版社スイユ社での、バルト担当エディターとしても名高いフランソワ・ワールも、バルトは始終退屈していた、と冒頭から語りだした。

多くが時を経ずして消え去っていくなかで

研究者によって綿密な調査のもとに書かれた著名人の評伝でさえも、多くが時を経ずして消え去っていくなかで、「ブルータス」という大衆的な雑誌に連載され、その後ソフトカバーの単行本として「あまい」タイトルで出版された本のことなど、もう誰も覚えている人はいないだろうか。

書評「失われた本を求めて」より

覚えていますよ。村上香住子(かすみこ)さんの「メモワール・ア・巴里── 回想で綴るフランス文化の巨匠たち」ですよね。ときどき読み返しています。

21人のうち、書評ではジュネ、タルコフスキー、ユルスナールとボルヘスを取り上げていますが、私が読み返すのはトリュフォーとジャン・ヴィゴ、ポール・クローデルとロラン・バルトの項。

「実生活ではなによりも左岸のカフェを好み、学者的な書斎の生活を嫌い、同性を好んだ彼は、生涯独身だったし、サン・シュルピス寺院の裏手の細い路地セルヴァンドニ通り11の、エレベーターのない建物の7階に住んでいた。パリの頭脳、ともいわれたロラン・バルトは、黒いドアのある狭くて雑然とした部屋の、赤いカバーをしたベッドや、本の山に埋もれて母親と同居していた。
執筆の合間、彼は、葉巻や《ペテールスティヴサン》をくゆらせながら、よくぼんやりと窓の向こうのパリの屋根を眺めていたそうだ」(ロラン・バルト)

「メモワール・ア・巴里」より

このようなインタビュー集がこのまま埋もれてしまうのは、いかにももったいない気がする。どこかの出版社で文庫化されないだろうか。

書評「失われた本を求めて」より

こういうのこそ電子書籍でやったらいいのではないか。註とか付け直して。

※ペテールスティヴサン(Peter Stuyvesant)
タバコの銘柄。ピーター・スタイヴサントとも。

※サン・シュルピス寺院(Saint Sulpice Cathedral)
「ダヴィンチ・コード」に出てきたローズライン(子午線)のある教会

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