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スカイライナー2態、または文字など動画(音楽の実現)の余白を埋めるしか能がない

チャーリーと言えば、バーネットだ。チャーリー・バーネット。チャーリー・バーネット楽団(Charlie BARNET & His Orchestra)のリーダーにして、サキソフォン奏者。レパートリーは「チェロキー(Cherokee)」が有名だが、僕が好きなのは「スカイライナー(Skyliner)」の方だ。半音階的な奇妙なメロディがスピード感たっぷりの、ビッグバンドの名曲。



で、この曲をアカペラで忠実にコピーしたのが、ディー・ツヴァイ(DIE TWEI)の「スカイライナー(Skyliner)」なのである。完全コピーしているはずなのに、輝かしさが失せてドロドロしてくるのが、なんともドイツ人のしわざらしい。



で、ディー・ツヴァイの「スカイライナー」は、チェリーレッドレーベル(Cherry Red Label)のLP時代の名盤オムニバス「ピローズ&プレイヤーズ(Pillows & Prayers)」の第2弾となる「ピローズ&プレイヤーズⅡ(Pillows & PrayersⅡ)」に、クリネックスのCMにも使われたジェーン(Jane)の「イッツ・ア・ファインデー(It's a Fine Day)」などとともに収録されていた。
でも、その後に出た何枚組かのCD「ピローズ&プレイヤーズ」や、チェリーレッドレーベルのボックスにも、ディー・ツヴァイの「スカイライナー」は入っていなかった。そもそもⅡのLPは、日本でしか売り出されていなかったらしい。たぶん、チェリーレッドがオムニバスを作るときに、他のレーベルから借りてきたアーチストだったのではないか。またはインディーズかも。



もちろん、モノクローム・セット(The Monochrome Set "Eine Symphonie Des Grauens")とか、



エブリシング・バット・ザ・ガール(EBTG)とかもよかったのだが、ディー・ツヴァイから受けた影響は大きかった。それからしばらくは、「あらいぐまラスカル」(渡辺岳夫作曲の「ロックリバーへ」)などのアニメソングを4声のアカペラに編曲し、故障したラジカセを使って多重録音していた。



しかし、なんでそんなに(僕にとって)貴重な(しかも10何年探して初めて存在が確認できた)音源が、全世界で70回しか再生されていないのか。

Chim↑Pom「ピカッ」擁護

昨日、Twitterに

「ドブスを守る会」で思い出したがChim↑Pomを擁護する人なんかいないかきょうび
http://twitter.com/hook_senbonhama/status/17797125925

と書いたが、さっそく動きがあって、今日、「ドブス」動画問題、指導の准教授を諭旨解雇、というニュースが流れた。いい勘してるな。

この准教授が、授業でアーティスト集団Chim↑Pom(チンポン)を評価し、それにあおられた学生が「ドブス」動画を作ったとかいう噂が流れて、准教授もChim↑Pomも叩かれていたのだった。

引き合いに出されたのは、Chim↑Pomの作品「ピカッ」。これが被爆者や遺族の感情を逆なですると批判が起き、広島市の現代美術館で開催予定だった展覧会が中止になり、メンバーや美術館のキュレーターが実名で批判されたりした。

Pika_3

この写真を最初に見たとき、正直これはやられた、いい作品だなと思った。本当に原爆反対、戦争反対というならば、「あやまちは二度とくりかえしませんから・・・。」みたいな情緒的な反応を継承というか再生産するだけでは、たぶん効果がない。

要するにヒステリックな感情だけを引き継いでいけば、いつかあの安っぽいアニメやラノベのように、その起源を忘れて、「くっ、くっそお、今度ばかりは、ぜってえに許せねえ!」とか「いまこそカタキを討つぜ!」とかいうことになりかねない。

重要なのは事実(ファクト)であり、千羽鶴だの平和の鐘とか泣きのスローガンではなく、青空を眺めて、その日起こった事実を思い起こすことだろう。

事実に比べれば、丸木さんの悲しげな地獄図だって、まだ情緒的だ。一瞬の光とともに、紙のようにペラペラと燃え上がってしまった人、水のようにシュンと蒸発してしまった人、爆風で圧死してベチャッとミンチになってしまった人。彼らの眼の奥の網膜は、ピカッという光で焼け落ちただろう。

その取り返しのつかない瞬間のことは、絵にも描けず、物語にもならない。

僕らは、夏の青空を見上げ、あの日の空に起こった事実を想像し、情緒を超えたファクトとして認識すべきだ――。本当はそうすべきなのに、なかなかできないそのことを、Chim↑Pomの「ピカッ」以上に、われわれに強いる作品はない。

それによって引き起こされたイメージのあとには、可哀想という感情よりも、言葉にはならないが、少なくとも自分はそういうものに加担しないという決意が、物質のように重たく心の底に残るのではないか。

そして、「ピカッ」という表現が悪ふざけと思われること、じっさいに悪ふざけを含んでいるのかもしれないこと、それを巡っていろいろな騒ぎが起こること、それらをひっくるめて「平和な世の中になったなあ…。平和ですよみなさん」と感慨にふけるのが、この作品の醍醐味なんだろうと思う。

所有は時代おくれではなす2

> 必要なのは具体的な価値判断と、所有という行為。

で、所有から外れるようで外れてないと思うんだけど。美味しい店で身銭を切って食べることは、真善美の実現に近いと思う。

物を食うことほど、所有の排他性を端的に表すものはない。所有を否定というか軽く見るということは、食うことを軽く見ることに近いことなのではないか。

まあ、別にそんなに食うことにばかり執念を燃やさなくてもいいんだけど。なんか、食欲とか生活とかのレベルとは、ちょっと違った要素があるような気がするんだよな。

「貧乏を貧乏の中に封じ込めて、その中で金を回すという商売が多すぎるんだよ。服でも食べ物でも、安売りの品だけを買ってたり、安くて早くてという所に並 んでばかりだと、絶対上に上がれないよ。3回食べるのを我慢して1回にしなさい。その代わり1000円のやつをゆっくり食う。服も同じ。昔の教育はそれを 教えてたはずなんだけど」
余命1カ月でも…たけし激白「日本人は下品」問題指摘

23区でも外れの方にくると、スーパーのフードコートなんか通ると、ほとんどスラムじゃないかと思うような感じするよ。駐車場には立派なワゴン車が並んでるから、たぶん所得の問題だけじゃないんだろうと。

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